「王妃の館」。華の都・パリにふさわしい高貴な別名を持つのが、マレ地区の中心、ヴォージュ広場の回廊の奥に佇むル・パヴィヨン・ドゥ・ラ・レーヌ・ホテル・アンド・スパ(Le Pavillon de la Reine Hotel & Spa)です。
私が初めて宿泊したのは2014年。緑鮮やかな蔦の絡まる石造りの外壁、赤いゼラニウムの咲く窓辺、中庭に差し込む穏やかな光—— 10年ぶりの再訪でも、その魅力は少しも色褪せていません。回廊から覗き込んだ先に見える小さな庭園とファサードが、妙に色気を感じさせるブティックホテルです。
このホテルを語るうえで、立地の歴史的文脈は切り離せません。ヴォージュ広場は、1612年にアンリ4世(Henri IV)の都市計画によって誕生したパリ最古の計画広場の一つ。ヴォールト(半円状)のアーケードが連なる赤煉瓦の建物が四方を囲み、ヨーロッパにおける王侯貴族的な都市計画の原型を今に伝えます。貴族の都市邸宅が建ち並ぶ洗練された空間として構想され、造営当初はロワイヤル広場と呼ばれました。
この広場は、文化人や芸術家たちのエピソードにも事欠きません。『レ・ミゼラブル』『ノートルダム・ド・パリ』などの代表作をもつ文豪 ヴィクトル・ユゴー(Victor-Marie Hugo)はこの一帯に居を構え、華麗な恋愛遍歴で知られる作家 コレット (Sidonie-Gabrielle Colette)、愛娘に宛てた機知に富んだ手紙から書簡作家とも呼ばれたセヴィニエ侯爵夫人(Marie de Rabutin-Chantal, marquise de Sévigné)らも、日々の創作の場としていました。
ヴォージュ広場の北側のアーケードをくぐり抜け、石造りのアーチの下を進むと、緑に包まれた別世界が現れます。それが、このル・パヴィヨン・ドゥ・ラ・レーヌです。街路から直接は見えず、喧騒から隔てられた「隠れ家」としてのプライベート感が、このホテルの本質的な価値を生み出しています。このホテルが「王妃の館」と呼ばれるのは、ルイ13世(Louis XIII)の妻 アンヌ・ドートリッシュ(Anne d’Autriche)の居館として設けられた翼の一部であったことに由来します。
客室数は全56室に抑えられており、そのコンパクトさがパーソナルできめ細かなサービスを可能にしています。規模や豪華さよりも体験の密度を追求する、現代のスモールラグジュアリーホテルの理想形です。2023年に亡くなったファッションアイコン ジェーン・バーキン(Jane Birkin)も、このホテルに魅了された一人で、撮影には必ずこのホテルを指定していたとのことです。
ル・パヴィヨン・ドゥ・ラ・レーヌを運営するのはシュヴァリエ・パリ・エスタブリッシュメント(Chevalier Paris Establishments / CPE)というファミリービジネス企業。言ってみれば、ここは個人所有のホテルということになります。CPEは1950年代にブラッスリー経営からスタートし、1980年代に入り、創業者の息子と娘によってホテル業界へ参入しました。現在は創業者の孫世代が経営に参画し、さらなる発展を担っています。ここはCPEのフラッグシップホテル。パヴィヨン・デ・レットル(Le Pavillon des Lettres)、ル・プティ・ムーラン(Le Petit Moulin)、パヴィヨン・フォーブール・サンジェルマン(Pavillon Faubourg Saint-Germain & Spa)といった数々のホテル開業へと続く礎となっています。CPEが所有するホテルはすべて、スモール・ラグジュアリー・ホテルズ・オブ・ザ・ワールド(Small Luxury Hotels of the World)に名を連ね、独立系ホテルの雄として高く評価されています。
ホテルの食体験を担うのが、2018年に開業した「アンヌ(Anne)」。その名はもちろんアンヌ・ドートリッシュに因んだもの。開業からわずか2年でミシュランの星を獲得するという快挙を成し遂げました。その立役者でスターシェフのマチュー・パコー(Mathieu Pacaud)の後を継ぎ、現在、厨房を率いるのはティボー・ソンバルディエ(Thibault Sombardier)。フレンチの伝統を現代的に再解釈したメニューに定評があります。ゲストはもちろん、パリの食通たちも挙って足を運ぶこのレストランは、ホテルダイニングという枠を超えて、ひとつの文化的な目的地となっています。ホテル1階にはプライベートラウンジのような空間も。暖炉と読書スペースを備え、朝食、アフタヌーンティー、シャンパンなどを気軽に楽しめます。
館内のスパは、パリ発のカスタムスキンケアブランド「コダージュ(Codage)」とのコラボレーション。客室のアメニティもこのブランドで揃えられています。スパは250㎡の空間に、2つのトリートメントルーム、フィットネスルーム、ジャグジー、ハマムを完備。旅の疲れを静かに解き、明日への英気を養ってくれます。
ホテルからは、ピカソ美術館、ヴィクトル・ユゴー記念館、カルナヴァレ博物館などが徒歩圏内に揃い、マレ地区のブティックやカフェも目と鼻の先です。広場の向こうに広がる賑やかな日常を感じながら、パリの中心部とは思えない穏やかで贅沢な時間が流れてゆく—— ル・パヴィヨン・ドゥ・ラ・レーヌの一番の魅力は、その華麗なギャップにあるのかもしれません。
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