世の中に対して様々なムーブメントや新しいカルチャーを仕掛ける、クリエイティブディレクターの小橋賢児とTRUNK社長の野尻佳孝。仕事に全力投球を続け実業家として活躍する一方で、家族を大切にする夫、父親としての顔を持つ二人は、仕事や遊び、そして家族との時間をどのように考え、それぞれにどのように向き合っているのか。
公私ともに縁のある二人の対談の中から、彼らのクリエイティビティの源流を辿ります。

小橋賢児(Kenji Kohashi)
LeaR株式会社 代表取締役/クリエイティブディレクター
1979年東京都生まれ。88年に俳優としてデビューし、NHK朝の連続テレビ小説『ちゅらさん』など数多くの人気ドラマに出演。2007年に芸能活動を休止。世界中を旅しながらインスパイアを受け映画やイベント製作を始める。12年、長編映画「DON’T STOP!」で映画監督デビュー。同映画がSKIPシティ国際Dシネマ映画祭にてSKIPシティ アワードとSKIPシティDシネマプロジェクトをW受賞。また『ULTRA JAPAN』のクリエイティブディレクターや『STAR ISLAND』の総合プロデューサーを歴任。
『STAR ISLAND』はシンガポール政府観光局後援のもと、シンガポールの国を代表するカウントダウンイベントとなった。
また、東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会主催の東京2020 NIPPONフェスティバルのクリエイティブディレクターにも就任たり、キッズパークPuChuをプロデュースするなど 世界規模のイベントや都市開発などの企画運営にも携わる。

まず、お二人はどのように知り合ったのでしょうか?

小橋:
僕の中では野尻さんは、東京のストリートやカルチャーのシーンのど真ん中にいた先輩というイメージ。いろんな場所にいてとにかく目立っていたので、昔から一方的に知っていたという感じです。ちゃんと話すようになったのは、けっこう大人になってからですね。

野尻:
私も同じような印象です。面識はずいぶん昔からあって、共通の知人も多いですが、深い話はあまりできていなかった。カッティングエッジな遊びをしている人は、先輩にはけっこういたものですが、年下で、役者で、目立って遊んでいた存在だったのが賢児。自分が遊びに行く場所によくいたという記憶があります。

行動力や好奇心が、今につながっている

小橋:
8歳の時にバラエティー番組のレギュラーが決まったんですが、両親は共働き。一人で電車に乗ってスタジオに通っているうちに、もっといろんな世界を見たいという気持ちが強くなりました。その後、中学生くらいになって渋谷や原宿に通うようになると、ストリートの先輩たちに話しかけてもらうようになって、少しずつ仲良くさせてもらいました。先輩たちはファッションや音楽の情報も早い。今思うと、よく若い自分を相手にしてくれたなって思いますね。

野尻:
そういう時代だったというのも大きいよね。小さい頃から、新しいもの、楽しいものを追い求める行動力や好奇心があって、それが今につながっているのかな。

小橋:
そうだと思います。中学生の時には、洋服を買うお金を稼ごうと1年ほど新聞配達をしたり、原宿の駅前にあったテント村のアクセサリーショップでバイトしたりしていましたから。ただ、そんな時代を経て、俳優として世に出た後で、自分が心からやりたいことをできない10年間がありました。そこで27歳で俳優を休業してからは、ある種心のリハビリ。今みたいに、ずっと自由に行動し続けてこられたかというと違うんです。

野尻:
休業する前も、休業後の賢児も知っていますが、賢児は常に最先端を作ろうとしている人。人がやらないことを手がけながら、同時に、社会とのつながりみたいなことを考えているのも素晴らしくて、私は勝手にちょっとしたライバル意識を持っているくらいです。

小橋:
僕も野尻さんには、いつもいい刺激をもらっています。

より親しくなったきっかけは?

野尻:
数年前、一緒に広州や上海に行ったことがあって、その時に賢児から「今、サウナがアツいですよ」と教えてもらって。すぐにハマって、家にもサウナを付けました。裸の付き合いじゃないですが、向こうでいろいろ語り合ったこともあって、徐々に深い付き合いになってきましたね。その後、家にも来てもらって、本当に深い話ができるようになったのはこの1、2年です。

小橋:
ある日、野尻さんが手掛けているとは知らずに、ようやく日本にもこんな場所ができたんだなと思って、TRUNK(HOTEL)に遊びに来てたんですね。すると野尻さんがいて、いきなり「明日家に来なよ」って。週末だったので子供を連れてお邪魔すると、憧れの先輩の、子煩悩なお父さんとしての姿を目の当たりにして。そこから等身大の関係というか、さまざまな相談ができるようになりました。その後、友達のプロサウナーたちと一緒に、TRUNK(HOTEL)でサウナパーティーをやりましたね。

野尻:
最近、テレビでもサウナの番組増えていますよね。サウナパーティーを賢児にプロデュースしてもらって、賢児たちがまた、新しいムーブメントを作っていることを実感できた時間でした。

「場」には余白があって、さまざまな人がやって来る

小橋:
TRUNK(HOTEL)は泊まらない人もお茶したり、仕事したりできる場所。海外には、こういった交流のきっかけを生み出すホテルは多くあります。そういう場には必ず余白があって、昨日失恋した人もいれば、リストラにあった人もいて、さまざまな境遇の人がやって来ても受け入れる。そこで、意見や感覚を交換したり、音楽やカルチャーに触れたりしているうちに、人生が変わっていくこともあります。

野尻:
もともと、開いた「場」としてのホテルを作りたいという考えがありました。といっても、必ずしもホテルを作りたかったわけではなくて、東京をおもしろくしたい、東京におもしろい場を作りたいと考えていたら、TRUNK(HOTEL)に行き着いたんですね。集まることができる「場」ができても、賢児がやっているフェスやライブ、花火みたいに、大勢の人々を巻き込んで感動を共有できる遊び、場作りは、まだまだ行き届いていないという次なる課題もあります。今後、新しい挑戦をしていくなかで、そろそろ賢児の力を借りられる機会もあるんじゃないかと思っています。

大人にも子どもにも”おもしろい場”をつくるために

小橋さんが最近手掛けた「場」とは?

小橋:
2019年5月1日、横浜駅直通のエンターテインメントビル「アソビル」4階に、キッズパーク「PuChu!(プチュウ)」がオープンします。自分に子供ができて、子供とのライフスタイルを考える中で、イベントには限られた人しか足を運べないし、イベントという一過性のものではなく、常にある場が必要なんじゃないかという課題を持ち続けてきました。そんなとき、偶然にもプロデュースのお誘いをいただいたのが、子どもが遊びながら感性を学べるPuChu!でした。子どもの遊び場は、すでにあると言えばあるんですが、あまりアップデートされていません。お母さんたちも、例えば今までリア充だったとして、日本のレストランだと子どもがいるといけてるレストランにも気軽に行けないという現実があります。

野尻:
常設というのも、賢児にとっての新しいチャレンジだよね。

「宇宙を創造できるくらいクリエイティブ」

小橋:
子どものための常設の場を作るには、子どもの予測不可能な動きに対応した安全基準が必要なことなど、めちゃめちゃ勉強になりました。僕も野尻さんも、東京のど真ん中でいろんなおもしろい人に会うことで自分の殻を破って、世界を広げてきたと思います。子どもの頃に自分のリミッターを外す体験をしておくことで、そのうちAI時代がやって来て今世の中にある職業が淘汰されたとしても、将来、それぞれが宇宙を創造できるくらいクリエイティブになっているはず。PuChu!は「プチ宇宙」の意味で、若いうちにいろんな世界に触れるきっかけです。子どもはもちろん、一緒に行ったお父さんお母さんに対しても様々な体験を提供する予定です。

これからやりたいことは?

野尻:
今度、家族と一緒に北海道の帯広に行って、畑から野菜をとり、川で釣った魚を自分達で調理したり、牧場で羊達にエサを与えたり、馬に乗って遊んだり。携帯電話やPCとの生活から離れて自然と戯れるという計画があります。そういう3泊の旅を友人にお願いしていて、昨日プログラムが届いたんですが、内容を見ただけで最高だと思いました。もともと、そういう体験を東京に近いところで提供できるサービスがあったらいいなと思っていて、時々、関東近郊に物件探しに出かけています。そういうサービスづくりも、賢児にプロデュースしてもらったらおもしろいなと思っています。

小橋:
いいですね。子どもは屋内だけではなく、屋外で遊ばせられたらとも思っています。でも、週末は買い物をしないといけなかったり、外遊びに慣れていないお母さんがいたり、現実を見ていると屋内で遊べる場も不可欠です。体を鍛えるためにジムに通ったら、ヨガやマインドフルネスのプログラムに参加するのと同じように、PuChu!をきっかけに、子どもとの外遊びの体験や、多様な講師陣によるアフタースクールなどにも興味を持ってもらえればと思っています。

野尻:
PuChu!は、家族にとって新しい気づきを得られる「場」になってるんですね。

第2回へ続く

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